明治5年、東郷湖畔に源泉を開発。地元の村民にも開放し、慰安と養生の用に供していました。
その後「養生館と憩いの館」と名付け浴舎を建てたのが養生館の始まりです。
明治17年、宿舎を建て、旅館として創業。水郷情緒にあふれた景勝の地もあり多くの文人墨家に愛されて今日にいたっています。


◇明治17年 ・・・ 山田信道 鳥取県令「後の農商務大臣」
◇明治21年 ・・・ 村雲尼公
◇明治22年 ・・・ 内務大臣 芳川顕正閣下
◇明治23年 ・・・ 文学博士 末松謙澄男爵
◇明治24年 ・・・ 小泉八雲
◇明治31年 ・・・ 陸軍大将 西郷公爵
◇明治33年 ・・・ 陸軍大将 黒木為楨
◇明治33年 ・・・ 永平寺 日置黙仙禅師
◇明治34年 ・・・ 陸軍大将 伊藤祐季子爵
◇明治43年 ・・・ 鉄道総裁 後藤新平伯爵
◇明治44年 ・・・ 文部大臣 岡部長職子爵
◇明治44年 ・・・ 山階若官殿下
◇明治45年 ・・・ 大隈重信公爵
◇大正 2年  ・・・ 幸田露伴
◇大正 2年  ・・・ 陸軍大将 福島安正閣下
◇大正 3年  ・・・ 尾崎行雄
◇大正 3年  ・・・ 大浦兼武
◇大正 6年  ・・・ 厳谷小波
◇大正 6年  ・・・ 生田春月
◇大正 6年  ・・・ 下村海南博士
◇大正 8年  ・・・ 志賀直哉
◇大正12年 ・・・ 司法大臣 原 嘉道閣下
◇大正12年 ・・・ 田山花袋

△小泉八雲


△小泉セツ


△大隈重信公爵


△幸田露伴
田山花袋〔山水百紀〕
しかし東郷池も決してわるいところではなかった。いかにも明るい感じのするところであった。それにこのあたりは歴史にも富んでいて、豊臣軍と毛利軍との相対峙したあともそこここに残っているようなところだった。(中略)
しかしあそこの鰻のうまさは今も昔も変わることはあるまい。

『山水百紀』より抜粋
志賀直哉〔万暦赤絵〕
さらにその昔、小泉八雲が家族と来て、中の芸者騒ぎに「地獄です。ここは地獄です。」とそのまま玄関から引き返したという話を伝記で読んだことがあるが、十数年前すでにその面影がなかったばかりでなく、今はまたその時よりも ? あたかも枯れ木を見る感じで彼には好意が持てた。

『万暦赤江』より抜粋
生田春月
東郷橋というのがかかっている。それを渡ったところから右に折れて、湖畔の養生館へと入って行く。と右手には東郷湖が今日の風に白く波立って見える。養生館は水に ? うて立っている気持ちのいい ?まった湖水の上に?してたっている部屋に通されて、すぐ湯に入る。―略

『生田春月全集第七巻』より抜粋
小泉節子
伯耆の国に旅しました時、東郷の池と云う温泉場で、先ず一週間滞留の予定でそこの宿屋へ参りますと、大勢の人が酒を飲んで騒いで遊んでいました。それを見ると、直ぐ私の袂を引いて『駄目です、地獄です、一秒でさえもいけません』と申しまして、宿の者共が『よくいらっしゃいました、さあこちらへ』と案内するのに『好みません』と云うので直にそこを去りました。宿屋も、車夫も驚いて居るのです。それはガヤガヤと騒がしい俗な宿屋で、私も厭だと思いましたが、ヘルンは地獄だと申すのです。嫌いとなると少しも我慢致しません。私は未だ年も若い頃ではあり、世馴れませんでしたから、この一国には毎度弱りましたが、これはヘルンの極まじりけのないよいところであったと思います。

『思い出の記』より抜粋
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